2014年11月9日日曜日

「こだわり」という表現は手垢が付き過ぎているので原則やめるべし

あるWebサイトの英語化をやって考えた。

元の日本語サイトは、高級な商品を紹介したもので、会社の歴史やそれに携わる人々の真摯さや商材の優秀性を語る、というよくあるスタイルで、日本語で読む限りまあこんなものかと流せるレベルである。それほど、その商材に興味がない限りアテンション自体がつかまれることもない。そのサイトに至ることも、元々関心がある人に限られる。

しかし、英訳をやるとなると、だいぶ深く読み込まなくてはならない。逐語訳をすると意味が通らないことも多い。繰り返しが多く、表現が情緒的過ぎて、英語にするのがつらい。商品/商材の情報自体、それにより解決される課題、得られる体験を語るべし、というのが、コンテンツに要求される要素だと思うのだが、具体的に書きにくい場合やそもそも具体性のない受注業の場合、それを提供する人の良さや優秀さと、その根拠になる「こだわり」をうたうというスタイルが出現する。

「営業は商品を売るのではなく自分を売ることだ」という言説をすべて否定するつもりはない。が、企業の従業員の人柄の良さを強調しなければいけない、というのは商品/商材の否定である。同業他社の社員は人柄が悪いというつもりだろうか。どこも人柄は平均すれば同じではないだろうか(そもそも人柄は数値化できるものでもない)。何か非科学的かつ霊的な現象があって、特に人柄が良い人が多く集まる企業というのも統計的にないわけではないだろうが、結局、命に関わる手術を受ける際には、人柄はいいけど腕の悪い外科医より人柄は悪いけど腕のいい外科医を選びたい、というシンプルな事実の前には人柄はかすんでしまう。

「人柄」が「コミュニケーション能力」に置き換わることもままある。

さて、このような現象を象徴する言葉として、よく使われるワードが「こだわり」である。「素材へのこだわり」とかそういう表現は良く目にする。素人の考える広告用語として、「こだわり」はあまりに安易に使われている。元々、悪い意味で使われていたというような話もあるが、それよりも、「こだわり」は「こだわりを持つ人に視点を移す」手法であり、「人柄問題」に通じているように思えてしまうのは、自分の性格が歪んでいるからだけでもないだろう。

それよりも何よりも、安易すぎる「こだわり」を見ると、萎えてしまう。「店主が徹底的にこだわった極上小麦からつくった手打ち麺」とかを読むと、「勝手にこだわっておけ」と心の中で毒づいてしまう。

何が言いたいかというと、広告用語としてたぶん1970年代から使われてきた「こだわり」はステロタイプで手垢もついたので、そろそろ別の単語にしてはいかがでしょう、ということである。

以上、感情的に書いてしまったが、正解は、WebサイトでA/Bテストをやってみて、「こだわり」と「こだわり」以外の表現で、アクセス数やコンバージョン数の比較をやること。もし「こだわり」の方が成績がいいなら、「こだわり」を捨てる必要はない。

最後に、英訳はどうしたかを書いておく。「こだわる」で辞書をひくと、
▸ 服装にこだわる⦅うるさい⦆be particular [(いやになるほどうるさい) fussyabout one's clothes. 
▸ 主義にこだわる⦅固執する⦆stick to one's principles. 
▸ 結果にこだわるtake the result too seriously.
となっており、どれもあまり良い意味がない。 いろいろ考えて「passion(情熱)」ということにしてみた。「素材へのこだわり」であれば「our passion for the materials」という感じで。